category: 日記
DATE : 2006/12/20 (Wed)
身内の不幸とは言っていましたが、ぶっちゃけ実父の葬儀でした。今年の春先に肺癌を告知され、17日に不帰の客となりました。享年61歳、数えで62歳ですか。
40代後半で溶血性貧血という赤血球が溶けてしまう血液の病気を患い、そのときも死線を彷徨いましたがそれでもなんとか生き延びました。が、5年くらい前には脳血栓、そして肺癌と、難病と言われているものはほとんど一身に受けて、結局病に勝てずに旅立ちました。晩年は兄夫婦のところで一緒に暮らし、孫も抱けたので幸せな生涯だったと思います。
結局自分は息を引き取る間際に間に合わず、30分ほど遅れてしまいましたが、居合わせた兄と母の話を聞くに、いつ息を引き取ったのかよくわからない最後、とのことで苦しまず逝けたようで何よりです。
ともかく、この日曜から今日までの4日間は慌ただしく過ぎ去りました。実際に別れが訪れ、寂しくも悲しい気持ちはありますが、下手に落ち込むってとこはないです。覚悟は最初の病気のときにできてましたし、それからつねに一期一会の気持ちで会って、言うべき事は言って受け継ぐものは受け継いだという気持ちがあるからです。
生前の父の言葉を借りれば「人間は死ねばそれまで。死んだあとはどうでもいいから生きてる自分の生活をなんとかしろ」とのことなので、今後の生活をなんとかしていかなければなりません。
というわけで、近日中に通常更新を再開する予定ではあります。
ともかく今は眠いッス(;´Д`)
DATE : 2006/12/20 (Wed)
なんとか一区切り着きました。なんとか明日か明後日くらいからいつものペースに復帰できるかと。
いやはや、それにしても疲れました(;´Д`)
はてさて、それでこの三日間で何があったのかというと……つづきの方で。身内の不幸話なので、よっぽど気になる人はご覧下さい、ということで。
いやはや、それにしても疲れました(;´Д`)
はてさて、それでこの三日間で何があったのかというと……つづきの方で。身内の不幸話なので、よっぽど気になる人はご覧下さい、ということで。
身内の不幸とは言っていましたが、ぶっちゃけ実父の葬儀でした。今年の春先に肺癌を告知され、17日に不帰の客となりました。享年61歳、数えで62歳ですか。
40代後半で溶血性貧血という赤血球が溶けてしまう血液の病気を患い、そのときも死線を彷徨いましたがそれでもなんとか生き延びました。が、5年くらい前には脳血栓、そして肺癌と、難病と言われているものはほとんど一身に受けて、結局病に勝てずに旅立ちました。晩年は兄夫婦のところで一緒に暮らし、孫も抱けたので幸せな生涯だったと思います。
結局自分は息を引き取る間際に間に合わず、30分ほど遅れてしまいましたが、居合わせた兄と母の話を聞くに、いつ息を引き取ったのかよくわからない最後、とのことで苦しまず逝けたようで何よりです。
ともかく、この日曜から今日までの4日間は慌ただしく過ぎ去りました。実際に別れが訪れ、寂しくも悲しい気持ちはありますが、下手に落ち込むってとこはないです。覚悟は最初の病気のときにできてましたし、それからつねに一期一会の気持ちで会って、言うべき事は言って受け継ぐものは受け継いだという気持ちがあるからです。
生前の父の言葉を借りれば「人間は死ねばそれまで。死んだあとはどうでもいいから生きてる自分の生活をなんとかしろ」とのことなので、今後の生活をなんとかしていかなければなりません。
というわけで、近日中に通常更新を再開する予定ではあります。
ともかく今は眠いッス(;´Д`)
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[にのまえはじめ/にのまえあゆむ] Re:無題
いやはや、ご迷惑をおかけしました。
ひとまず区切りはついたので、一安心といったところです。
まずは年内に……は、無理かもですが、続きものから片付けていこうかと思っております。
ひとまず区切りはついたので、一安心といったところです。
まずは年内に……は、無理かもですが、続きものから片付けていこうかと思っております。
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